修論終わり

論文を無事書き終わることができた。
ひとえに僕を支えてくれたみんなのおかげだと思う。
僕の研究の結論は、ここではそっと胸に秘めておくとして、
研究をしていく中で改めて下記の言葉の大切さを実感している。

っと、まぁ意識高いキラキラ修士な匂いがプンプンする文面であるが、個人的には色々と思うところがあり、もう少し研究をしてみたいなっと思いつつ、残りの作業(海外論文へ投稿)は教授に任せることにした。データをくれといわれたときに吐き出す作業には協力するように言われているので、社会人になっても若干の引き継ぎは残るものの、こういうときには指導教官の偉大さを感じる次第。(まぁ、他の先生たちもホントすごい人ばっかだったけど。。。)

 あまり特定されない範囲で書くと、自分が比較的新設の大学院に入学するとなったとき、正直、あまり教育方針には期待していなかった。大体、できたばっかりなんだから好きなこと勝手にやろうと思って入った節がある。しかし、それぞれ関連が薄く、つながりが見えにくいカリキュラム(すいません)をこなしていく中で、自分の中では少なくとも点と点がつながった感触があった。きっと、この感触は他の後輩も感じると思う。そこに、論文を書けるだけの新しい形が潜んでいる気がする。

 おそらく今の時代に古典的な数学(微分幾何学とか?)を学んで成果を出すのは難しいだろう。現に僕の学部のころの微分幾何学の先生は、学ぶだけでおなかいっぱいになってる印象だった。それに比べて、計算機科学に近しい分野をやってる人は今最も楽しい思いをしているはずだ。(研究に興味があれば)

 中学生くらいの頃、歴史の教科書に載ってる中世の人の髪型を見て笑う人がいたが、僕は正直、今の時代にいる人もその人たちと変わらないと思う。自分たちが、普遍的なポジションにいると錯覚してしまいがちだが、今という限られた時代の様式に従って僕たちは生きてる。僕らの服装も時代とともに変わっていく。今の時代に反発してバッハみたいなカツラをかぶる人やちょんまげを常備整えている人はおそらくほとんどいないだろう。その時代の人たちを笑う行為は、ダブルスタンダードに近い。(大げさだなぁ

 っと、まぁ系譜学みたいなことをいってもあれなんだが、何がいいたいかというと、僕たちは、タイムマシーンがない以上、この時代を生きるしかないわけで、この時代に最適化する必要があるだろうということだ。それは、やったほうがいいと思う。(頑固な人は変えなくていいけど)そのほうがきっと今の流れに乗って先のほうまで景色が見えると思う。今まではみんなに見えなかった景色。それが、今でいうところの計算機科学、ひいてはバイオや、宇宙工学なんだろうと思う。けど、あまりにも短期的に最適化する必要はない。それこそ、今、10年前のプログラミング言語を使う人がどのくらいいるか、みんながあとどれくらいクラウドクラウド!って言ってるか、データサイエンスって言ってるかは僕にはわからないけど。そのワードを言ってる人たちは、きっとその根底にある大事なことを学んでほしいから新しいキーワードを紹介して、若い人たちを釣ってるんだと思う。だから、そういうのはきっかけであればいいし、普遍性はきっとすぐそばに横たわってると思う。(ポエム終わり